プラモデルの歴史
昭和初期、プラモデルの誕生が1936年(昭和11年)であることから明らかなように、日本にプラモデルは存在しませんでした。
当然、プラスチック製の玩具も模型も存在しません。
だからといって、玩具や模型が存在しなかったというわけではありません。
当時の玩具はブリキや木材やセルロイドでできていました。
模型は加工しやすく強度もある木材が主構成材でありました。
静岡に模型メーカーが多いのはこのことによります。
静岡は、良質な木材を産出する日本アルプスから河川が流れ込む木材の集積地で、古来より木材加工が盛んであり、教材目的の木材加工を行う科学教材会社や木製玩具会社も多数、この地に生まれ、それがこれらの模型メーカーの源流となったのです。
タミヤ、ハセガワ、アオシマ、フジミ、イマイなどは、そういった静岡の木材加工を源流とする模型メーカーです。
なお、バンダイも静岡に工場を持ちますが、この流れの模型メーカーではありません。
模型は日本軍の戦闘機を中心とした航空機が人気で、ソリッドモデル、ライトプレーン、グライダーあるいはモーターグライダーなどが主流だったようです。
飛行機の模型は実際に作って飛ばしてみるなど、模型は科学教材として正式な授業に組み入れられることもありました。
1941年2月、日本は、アメリカを中心とした連合国の対日石油禁輸などの経済制裁に対し、東南アジアで産出される資源を獲得するために、そこを植民地としていた連合国と戦争を始めました。
ガンダムのプラモデル
1979年に放映されたテレビアニメ機動戦士ガンダムは初放映時は玩具販売が賑わずスポンサーに打ち切られたアニメでした。
しかし、量産型人型兵器が活躍する戦争を描いた連続ドラマはコアなアニメファンを中心とした視聴者に衝撃を与え、番組中盤ごろから話題になりはじめました。
それに加えてニュータイプという人の革新に対する幻想もあいまって徐々に人気が高まり、再放送時には爆発的な人気となりました。
1980年、バンダイよりガンダムのプラモデルが発売されると、それは大人気となり、出荷後すぐに店頭から消えるという慢性的な品薄状態となりました。
今では考えられないことですが、当時はガンプラの発売日には開店前からそれを求める子供の行列が並ぶということがしばしば発生しました。
ガンダムは、ガンプラを求める子供たちがデパートで開店ダッシュし階段に殺到するほどの(時には積み木倒しになる事件が発生して報道されるほどの)社会現象となったのです。
そして、ガンダムは同様のコンセプトを持つアニメーいわゆるリアルロボットアニメの草分けとなりました。
自律行動しないメカをロボットと呼ぶのは語弊がありますが、日本における慣用表現ですのでそのまま用います。
ガンプラの売れ行きを見た他社はただ指を銜えて見ていただけではありませんでした。
ある会社は子供騙しならぬ保護者騙しのガンプラの紛い物を販売しました。
またある会社は二匹目の泥鰌を狙ってリアルロボットアニメをアニメ会社に製作させ、そのスポンサーとなりプラモデルを販売しました。
プラモデル造るときの工具
プラモデル造るときの工具ですが、ニッパーは模型のパーツの切り出しに使用します。
デザインナイフは切る、削るという通常の用法の他に、パテを盛る際のヘラ代わり、合わせ目を消す際の鉋代わり、筋彫り工具等、様々な用途に用います。
切断面の処理が容易になるので、ニッパーは模型用で精度の高いものを購入するのをお勧めします。
デザインナイフはがNTのデザインナイフや、オルファのアートナイフ等がありますが、文具店で購入できます。
平やすり、半丸やすり、丸やすり、三角やすり、目立てやすり。合せ目、パーティングラインの処理、改造等の際に模型を削るのに使用します目立てやすりは、本来は鋸の目立てに使用するものですが、筋彫り、真鍮管の切断といった用途に使えますので、あると便利です。
けがき針は筋彫りに使用します。
筋彫りに使える工具として、他にモデリングソー、Pカッターなどがあります。
NTの製品で、ホルダにデザインナイフの刃の他に針を取り付けることができるものです。
砥石はけがき針を研ぐのに使用します。
ピンセットは細かいパーツやデカールを扱うときに使用します。
これはタミヤのもので標準のものと鶴口のものとがあります紙やすりは模型の表面を磨く際に使用します。
耐水性で水研ぎに使用できます。
プラ板は模型を改造する際などに使用します。
戦車のプラモデル歴史
かつて戦車のプラモデルといえば、モーターでキャタピラを回して走るのが普通でした。
1960年代後半から1970年代の中頃にかけて35分の1の戦車模型の大部分はモーターで動く、いわゆるモーターライズキットでした。
モーターライズキットには2種類のものがありました。
1つはシングルタイプ。
このタイプにはモーターが1つだけ入っていて、スイッチで前進だけあるいは、前進と後進の両方ができるようになっていました。
モーターが一つなのでシングルと呼ばれたのでしょう。
もう1つはリモコンタイプです。これは2つのモーターが入っていて、左右のキャタピラを別々に動かすことができました。
電池の入ったリモコンボックスで、前進後進がコントロールできました
とはいえ、ラジコンではありませんので、リモコンボックスと戦車の間は赤、青、黄、白の4色のリード線で繋がっていたわけです。
大部分のモーターライズキットには、シングル版とリモコン版がありました。
もともとモーターライズ戦車に付属していたフィギュアの別売りからはじまったTAMIYAのミリタリミニチュアシリーズは、最初、フィギュア、6ポンド砲などの火器、シュビムワーゲンなどの小型軍用車両でしたが、MM9では2号戦車がでました。
TAMIYAの戦車:プラモデルの歴史
TAMIYAのMMシリーズの戦車第1号である、2号戦車の発売から30年の月日が経過しました。
この間、動く戦車は主流ではありませんでしたが、製品が消えたわけではなく、35分の1に限らず、48分の1、25分の1、16分の1、15分の1といったスケールで、モーターで動く戦車が発売されてきました。
最近では、TAMIYAの16分の1のタイガー1型が10万円もするラジコンタンクということで、話題になりました。
ほぼ同時に、TAMIYAでは35分の1のタイガー1型やエイブラムスのディスプレイキットにラジコンキットの部品を追加した新製品が登場しました。
さらに、かつて人気のあったM41パットン、M42ダスターなどがシングルモデルとして再販されています。
TAMIYA以外のメーカーに目を移すと、1960年代から70年代にTAMIYAとモーターライズ戦車の覇権を争った感のあるNICHIMOは、この数年のうちにタイガー、パンサー、エレファントといった往年の名キットを、リモコンキットとディスプレイキットの両方で発売を再開し始めました。
また、おもちゃの世界では、コンバットデジQとかWTMの赤外線リモコン戦車なども登場して、ちょっとした動く戦車のブームがやってきたようです。
ということで、ここ数年、プラモでもモーターライズの戦車が少しずつ徐々に市場に戻ってきたような状況なのですが、まだ、本格的復活とまではいっていないようです。
そんな中で、既存のディスプレイキットにギヤボックスや電池ボックスそして、ラジコンのユニットなどを組み込んで走らせることを楽しむ方たちが徐々に増えてきました。